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Posted by ミリタリーブログ at

2009年03月28日

韓国旅行顛末記 戦争記念館 その④

 
兵員輸送車は「ご自由にお入りください」というか、開放状態になっていました。


アメリカ製 M113A1装甲兵員輸送車。ベトナム戦争から使われている「戦場のタクシー」。
後部扉が開いて兵士が戦場へ飛び出して行くんですが・・・


 ムチャクチャ狭いです、ホントに。
完全武装の兵士11名が、4畳半一間のアパートで向かい合って座ってる姿を想像してみてください。
それくらいの狭さです、天井も低いし。ヘルメット被ってないと、どこかに頭をぶつけて脳震盪を起こします。


運転席も狭い狭い。所要な部品は取り外されてますが、それでもこの状態で脱出するのは至難の業。

M113といえば映画「キリングフィールド」でのシーンが印象的です。
クメールルージュに拉致された特派員達が、M113で運ばれるんですが、
あの輸送車の狭さ、息苦しさを実際に体験しているワケで。これで扉閉められたら棺桶に押し込め状態というか
死刑台のエレベーターというか、閉所恐怖症で発狂しそうです。


こちらはM577装甲移動指揮車。タミヤのMMシリーズ「コマンドポスト」ですね。


こちらの方が指揮などしやすい様に後部車高が高くなってます。けど、やっぱり狭い。


KM900装輪装甲車。イタリア・フィアット社とオットー・ブレダ社が共同開発した4輪装甲車。
韓国では現代重工でライセンス生産されております。側面にガンポートが設置されていました。


当たり前ですが普通乗用車やトラックに比べても視界は悪いし乗り降りし難いです。
運転席から出ようとした時にコートの端がシートの間に挟まって身動き取れなくなって焦りました。


  
タグ :M113M577KM900

Posted by しゅがごん at 20:18Comments(0)韓国旅行顛末記

2009年03月27日

韓国旅行顛末記 戦争記念館 その③

 
屋外展示場にはかなりの数の兵器類が展示されています。
じっくり見れば1日あっても足りないくらいです。今回は見学時間が残り15分しか無かったので大急ぎで見て廻りました。

 

 
戦闘機に爆撃機、艦載砲から地対空ミサイルまでいろいろと展示されており一部は触ったり中に入ったりできました。

そんな中でも興味あったのが戦車類。今までだと靖国神社の九七式中戦車と富士の総合火力演習で見た程度だったので
時間が無いのがとても歯がゆかったです。また今度時間つくって韓国旅行リベンジすることにしますよ。

 
アメリカ製 M46戦車 この頃までボールマウント式機関銃が装備されていました。
特撮映画のヤラレ役としてM4シャーマンとよく競演してた気がします。


そのお隣はM36戦車駆逐車、タミヤのプラモデルでは「ジャクソン」の愛称がついていましたね。
これも今では見ることの無いオープントップ式の砲塔、車体はM4シャーマンの物を流用しています。


M4A3E8戦車、いわゆるM4シャーマン戦車。さすがアメ車、大きいです。
横でポーズしている自分の身長が170センチですので観光バス並みの車高でしょうか?
太平洋戦争時日本軍で「重戦車」に分類されていたのもうなずけます。
警察予備隊・保安隊(後の自衛隊)に供与された時、当時の日本人の体格では
ペダル類に足が届かず、ペダルに「ゲタと履かせて」踏める様したという逸話あるとか・・・。


M48A2C パットン戦車。ベトナム戦争では対戦車用よりも移動砲台としての活躍が目立っていました。
風呂の煙突の様な砲身と砲塔に搭載された赤外線投影装置が特徴。
隣はM56スコーピオン空挺対戦車自走砲。空挺部隊用の戦闘車両で
貨物機で運べるくらい軽量、パラシュート投下もできたそうです。


韓国製K1主力戦車(88戦車)。韓国軍の主力戦車。M1エイブラムス戦車に似ていますが、
1970年代~80年代の韓国には国産戦車開発経験が無かったため、
(M1戦車を開発した)米国ジェネラルダイナミクス社が設計・開発を行い、韓国で製造したそうです。

  
タグ :M4M46M36M48K1

Posted by しゅがごん at 01:26Comments(2)韓国旅行顛末記

2009年03月05日

韓国旅行顛末記 戦争記念館 その②

朝鮮戦争室の続きです。

朝鮮戦争時に使用された銃火器類が展示されています。

  
拳銃類、手榴弾と火炎瓶。コルトガヴァメントやトカレフなど。

 
(左)米軍・韓国軍小火器 M1カービン、M1ガーランド、M9バズーカ。第2次大戦中、日本軍やドイツ軍戦車を撃破しまくったM9も
北朝鮮軍のT34/85戦車には歯が立たなかったそうで・・・。
(右)北朝鮮軍小火器 PPSh-41 SKSシモノフカービン RPGー2。 RPGー2は1949年にソヴィエト軍で制式化されたばかりの新兵器。

 
(左)M20スーパーバズーカ 。戦争時、アメリカ第24歩兵師団師団長ウィリアム・ディーン少将が
自らスーパー バズーカを担いで戦車狩りを行って兵士たちに新兵器の威力を示したという逸話が残っております。
(右)M20 75mm無反動砲 ベトナム戦争頃まで使用、自衛隊でも装備されておりました。

その他、1区画分展示されていたのが在日韓国人学徒兵(学生義勇兵)。

戦闘服の支給もままならず、最初は学生服のままで戦闘に参加していたとか。



 
1950年8月11日、浦項女子中学校での北朝鮮軍との戦闘を再現したパノラマ。 かなりリアルでエグいです。


屋外展示場出入り口に展示されていた韓国版ウォリアーズ計画コンセプト。


K2をベースにした次世代ライフル。弾倉式グレーネドランチャーに端末付サイト。
とても便利そうに見えますが、重くて使い難そう・・・。

  

Posted by しゅがごん at 22:33Comments(0)韓国旅行顛末記

2009年02月20日

韓国旅行顛末記 戦争記念館 その①

  

戦争記念館はソウル龍山区、国防部(日本でいう防衛省)前の一等地に建築された
ソウル市内最大規模の敷地面積を有する記念館です。
先史時代から三国・高麗・大韓帝国・朝鮮・日本統治・朝鮮戦争・現代と、
韓国の戦争に関する記録や資料を収集・展示しております。

 

敷地の広さはハンパ無く(見学時間が1時間しかなかったので)全て見るには時間が足りず、
今回はさわり的な内容ですのでご容赦ください。時間を作ってじっくり見にいきますよ、次回は。

で、朝イチ9時開館とともに入場したんですが、なかなか面白いものを見ることができました。



広場へ凄まじい掛け声と共に百人近い兵隊さんが行進してきました。
話によると彼らは韓国軍の儀仗隊で、人の少ない時間を見計らってここで練習しているそうです。
前後左右へと綺麗に統制された行進は圧巻でした。(後ろにある四角い建物が国防部)
ちなみに広場に掲げられている旗は、朝鮮戦争の国連軍に参加した国々のものだそうです。



傍らでは女性兵士儀仗隊も練習中。

 

展示室では先史時代~日本統治までも戦いや兵器に関係する物が展示されております。
当時の武器や装備、戦いをパノラマで再現してあったりと飽きが来ません。
展示物の説明文は韓国語・英語・中国語・日本語で表記、動画も同じ対応がされているので
ストレスを感じることなく見たり聞いたりできました。

   

まるで「風の谷のナウシカ」に出てくるトルメキア軍兵士の様な鎧。    韓国人のシンボライズともいえる亀甲船。

この博物館のなかでも力を入れてるのが朝鮮戦争室

    

朝鮮戦争が始まるまでの背景から北朝鮮軍の南侵、仁川上陸作戦、ソウル奪還、北進、中共軍介入、停戦まで
細かく解説、展示されています。38度線から侵入する北朝鮮軍のパノラマでは鹵獲したT-34/85を展示。

     

展示物の節目節目にドキュメント映像コーナーがあって、戦争の流れをわかりやすく放映してます(日本語吹き替えあり)。

  

Posted by しゅがごん at 23:00Comments(2)韓国旅行顛末記

2009年02月16日

韓国旅行顛末記 統一展望台

2009年2月8日~11日まで社員旅行で韓国ソウルに行ってきました。
生まれて初めての海外旅行でかなりのカルチャーショックショックショック状態でしたが、
目立ったトラブルも無くとても楽しく観光してきました。
今回から数回に分けて観光のなかでのミリ系体験を紹介してみようと思います。
なにかのお役にたてれば幸いです。



画像は金浦空港で警備にあたる警察官、K1カービンを装備。
空港内で頻繁に見かけました、日本国内の空港とは雰囲気が違いますね。

 

今回観光したスポットのひとつオドゥサン統一展望台

板門店やDMZは手続きや服装などに制限があるので今回の旅行では見送り、
漢江境界線近くあるオドゥサン統一展望台に行きました。

 

天候が悪くて見えませんが向こう岸が北朝鮮、川幅は約3キロほど。もっとも近い場所だと400メートルぐらい。
昔は闇にまぎれて脱北者達が逃げてきたそうですが、現在は警備が厳しくなり中国への越境が一般的だそうです。

 

室内展望室にあるディオラマ。向かいの北朝鮮領には宣伝村があり、晴れた日には良く見えるそうです。


展望台に到着して必ず最初に見せられる宣伝村の最新状況ビデオ。
それによるとアパート群があったそうですが国内窮乏の影響か、その殆どが完成せずに崩壊状態。
それに代わって平屋の住宅が数棟建築されてますが人は住んでない様子。
また住民の多くは農作業に従事しているそうですが、作業用トラクターや輸送用トラックは見かけず
牛や人力で農耕・運搬している模様。軍人やその家族達は数キロ先の駐屯地で生活していて見かけることはありません。

展望館内では北朝鮮の生活用具が展示されていており、その貧窮ぶりをアピールしております。
興味深かったのが教科書類。撮影忘れてたんですが、ウインドウズ98、XPの教科書なんてのもありました。
教科書の内容は、算数なら「韓国の新聞売りの少年が10人、靴磨きの少年が13人、全員で何人いるでしょう?」 
国語なら「勉強をしたいのに授業前に校長先生から金品を強要され、払えないと教室から叩き出される少年の話」など
(韓国側のプロパガンダとはいえ)韓国=貧乏&圧政という洗脳教育満載で、あちゃ~な内容てんこ盛りでした。

帰りに館内のお土産コーナーに寄りましたが、



北韓(北朝鮮)特産品コーナー充実しております。
説明によると脱北者や離散家族への支援金の一部となるそうです。ということで、



微弱ながら北朝鮮産のビールと焼酎を購入して支援してきました。

                                でもこれだと品物買って北朝鮮に支援してる様な気がする・・・、まぁ国営施設だから大丈夫?

  

Posted by しゅがごん at 18:00Comments(4)韓国旅行顛末記